【警察官になりたかったリアル】

元地方公務員、地元奈良では対面でそして遠方の方にはオンラインでコーチングをしている澤村一誠です。
大学卒業後、平成元年4月からは奈良県警察官として、平成3年11月に奈良県警察官を退職後は、大阪府の八尾市役所の職員として2021年3月まで合計約31年間地方公務員として仕事をしてきました。

今回は、私が警察官を退職した理由、そして八尾市を受験したリアルなリアルな、本当にリアルなことをお伝えします。
警察官を志望した理由は、大学時代から漠然と地元奈良に貢献したい、奈良で働きたいと考えていたこと、高校(奈良県立高田高等学校)、大学(関西大学)と柔道をやっていたこと、民間会社で仕事をする自分自身のイメージが湧かなかったこと、「太陽にほえろ」の影響でしょうか刑事に対する憧れもありました。ふるっ。安易も安易、超安易ですね。

その後、鬼のような8か月の全寮制の警察学校の生活を経て、警察官としてスタートを切りました。
警察学校卒業後約2年間派出所の警察官でした。

退職したのは平成3年の12月22日です。退職後「なぜ辞めたの?」とよく聞かれました。
説明するのが面倒で「飲酒して車を運転して人を轢いたから」と答えていましたが本当ではありません。

【退職したリアルと採用試験面接での建前】

本当の理由は、定年退職まで人を逮捕する、捕まえる仕事を続けることに耐えられなかったからです。
それが仕事なのですが、就職するときに自分の適性などをよく考えなかったんでしょうね。
繰り返しになりますが本当に安易でした。

面接試験でも「なぜ、警察官になりたいのですか」という質問に対して「太陽にほえろを見て刑事さんに対する憧れもあって」というアホな本当の理由は口が裂けて言えません。
「地元で生まれ、地元を愛しています。大好きな奈良の治安の維持するすることを一生の仕事にしたいと考えました」と教科書どおり建前で答えたことを覚えています。

【そして・・・・・あの日】

そして私の人生のターニングポイントになった平成3年7月1日(月)、とても暑い日だったと記憶しています。
この日は当直勤務(朝から翌日の朝までの勤務)でした。
自宅を出たもののどうしても仕事に行く気にならず、出勤途中に公衆電話から(当時は携帯電話はありませんでした)、当時勤務していた警察署に電話し担当係長につないでもらいました。
「渡辺係長、澤村です。母方の祖母の具合が悪くなり四日市の病院に急遽行かなければならなくなりました。申し訳ありませんが今日の当直休ませてください」と虚偽の理由を言って休みをもらいました。

そして、1日中あちこちドライブして18時頃、日勤(朝から夕方までの勤務)の振りをして何食わぬ顔で帰宅したところ母が心配そうな顔をして「警察署の渡辺係長から電話があり、『四日市に行くなら管外(奈良県警の管轄区域外という意味です)になるから管外旅行届けが必要になるので提出するように』との連絡があったよ、どういうこと?」と心配そうに私に声を掛けました。【当時の母との会話や風景は鮮明に覚えています。時間が止まったような感覚でした】

“あっ、そうやった。管外に出るに管外旅行は届が必要やった。しまった。”(私の心の声です)
当然、母には仕事に行くと出かけたわけですから噛み合いません。(この間、警察署では私が虚偽の申告をして休んでおり、連絡が取れない状態になっていたため大騒ぎになったそうです)当時の関係者の方すみません。((+_+))

もう逃げも隠れもできません。母には正直に「仕事が嫌で今日、うその連絡して休んだんや」と正直打ち明け、警察署に出向きました。そして腹を括って「警察官として仕事をするのが嫌になりました。今日の虚偽の申告の件もありますので今日を限りに辞めさせてください」と伝えました。
【当時は、この日のみ休んで翌日の7月2日からは仕事に行く気でした。また、奈良県内のどこかの病院に行くと申告をしていたら虚偽の申告がばれなかったでしょう。運命のいたずらとはこのことです】

上司からは強く慰留されました。
退職の決意は固かったのですが、中途半端な時期での退職は迷惑をかけることになるためとりあえず即日の退職は思い留まりました。
そして平成3年末の12月22日をもって奈良県警察官を退職しました。

【嫁さんの被扶養者に】

実は、当時つきあっていた今の嫁さんにはプロポーズをしており本人にもご両親にも承諾を得ていました。
結婚式も翌、平成4年2月8日と決まっていました。
そんな状況での退職ですから無謀と言えば無謀、よく嫁さんもご両親も結婚をさせてくれたと思います。感謝です。
ちなみに結婚した当時、嫁さんは大学4年生で4月からは就職が決まっていました。
4月からは嫁さんが世帯を支える大黒柱でした。
私は嫁さんの被扶養者として月10,000円の小遣いをもらいながら県の職員採用試験の合格をめざして勉強漬けの日々でした。
会社で働く自分がイメージできなくて警察官になり、合わなくて退職したのですが、次の仕事を決めるにあたっても会社で働く自分がイメージできず福祉や都市計画など様々なことができる一般職の公務員になろう決意しました。

そして平成4年6月、嫁さんの妊娠、とても嬉しかったですが正直、「えらいことになった。早く仕事を決めなければ。とにかく頑張るしかない」という心境でした。

7月、第一希望の県の職員採用試験を受験したものの不合格となり途方に暮れました。
嫁さんの妊娠もあり就職する以外の選択肢はなくイメージできなかった会社も含めて転職活動を開始しました。

当時は今ほど転職が一般的ではなく、また警察官を退職したことに良いイメージがなかったのか転職活動も上手くいかず藁にも縋る思いで高校時代お世話になった先生に相談しました。
相談したのが8月頃だったと記憶しています。先生から「ちょうど私(先生のことです。)の住んでいる市の市役所の職員試験が9月にあるから受けてみたらどうかな」と試験があることを教えてくれました。
その市は、行ったこともありませんがごちゃごちゃ言っている場合ではありません。
その日のうちに市役所まで出向き願書を受け取り必要事項を記載し数日後に提出しました。
まず、1次試験を突破しなければなりません。
受験する市の情報を集めるだけ集め1次の筆記試験に臨みました。

【で・・・結果は?】

・受験当日、ゾーンに入ったとでも言うのかも知れません。
第一希望の県の職員採用試験とは範囲も形態も異なったもののほぼ完璧な出来でした。
そして予想どおりの合格通知を手にしました。

【面接試験の戦略】

次は面接試験です。面接試験ではもともと志望していなかった、行ったこともない市役所の志望動機と警察官を退職した理由を聞かれるのは間違いなく説得力のある説明が必要になります。退職理由について、虚偽の申告をして仕事を休んで、いずらくなったとは言えませんし、志望理由について、第一希望の県の職員に不合格になって行くところがなくてタイミングがあったからとは口が裂けても言えません。合格するために、もっともらしい理由を考える必要があります。面接当日の質問と答えを脳みそが捻れるぐらいに考えてシュミレーションし本番に望みました。(この続きは次回に)

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